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『吉本隆明が語る親鸞』を読んでる途中。

先行発売で購入するも、なかなか進んでいません。
わかったふりしてページをめくれなくて、
同じところを何度もなんども読んでます。
そんなむずかしく書いてあるわけではないと
思うのだけれど、なかなか進められなくて
ああ、わたし、やっぱりあたまがわるい。
うなだれそうになる自分を往復ビンタして
同じ場所を往復しつつ読んでます。
なので、内容的に「ここがどうだ」とか
「ここがすばらしい!」ということが書けません。
(ほんとうに「むずかしい」ということは
 まったくないと思います)

でもね、読み始めてすぐに、
「この本はきっと、大事に読んで、
 いつかこのふしぎな背表紙が
 割れるほどに読んで、直してもまだきっと
 大事に持っていてまた読むのだろう」
2062年のよぼよぼのばあちゃんの私が、
ベッドに横になったまま本棚を眺めたりして、
何度も直された背表紙が見えたりして
良い本だなあ、とか、あれを読むといいよ、とか
思ってたりするんじゃないのかなあ。
(ちなみに1262年が親鸞没年なのでなんとなく)
そんな風に、ふと、ほんと風のように
頭に浮かんできたのです。

父が生きてたら、
「ちょっとその本おとうさんにも見せて」
って言って持って行っちゃいそうな本なんだよねえ。
ここのところそう思う本がとても多くて
「もー、おとうさん生きててくんないとー」
なんちゅうことを考えちゃいます。
読みたいだろうなあ。
かわりに(?)私がまじめに読むけど。

こんなんでおすすめしていることに
なるのかわかりませぬが。
「これ、いいっすよ」

来月また京都行こうかな。
東本願寺で父に手を合わせて、
お釈迦さまに甘茶かけて来るのもいいな。
灌仏会あたりにいくのは厳しいかな。
(逆方面に行く予定もあるのね)


  1. 2012/03/13(火) 22:41:17|
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よしぞう

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